こんにちは! ENG-LIFEブログ管理人です。
管理人のこれまでの人生において、19歳の時に行ったワーキングホリデーはとても意義深いものでした。
これがなかったら、私の人生は大きく変わっていたであろうと思います。
本記事では、管理人が経験したNZでのワーホリについて、シェアをさせていただきます。
これから、ワーホリを考えている方の御参考になれれば幸いです。
目次
◆ワーキングホリデーに行った理由

プロフィールページにも記載させて頂いているように、元々、英語が好きであった私は高校を卒業後は都内の私大に入りました。
「英語を話せるようになりたい」「海外で生活してみたい」という思いは、なんとなくあったものの、このまま何も行動を起こさなければ、このまま卒業して就職してしまうだろう・・という感じでした。
そこで、まずはどうなりたいのかをもう少し明確にすることにしました。
「英語を話せるようになりたい」 → 「英語圏で一人で生きていけるレベルまで。」
とりあえずは、これを目標として達成する方法を探しました。
費用は出来る限り抑えたかったので、
「英語圏で普通にバイトして生活していれば、話せるようになるんじゃね!?」
という安易な発想のもとで、英語圏でバイトができるワーキングホリデービザに辿り着きました。
とは言え、英会話は全然出来なかったので、最初の2~3ヶ月は語学学校に通ってから、バイト探しをしようと計画を立てました。
◆NZを選んだ理由

2007年当時、ワーホリビザが使える英語圏は、イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージランドなどがありました。
ワーホリ経験者からの情報収集をしていて、英語が上達しない人の悪い例として以下のようなものがあると聞いていました。
- 現地に行っても日本人がたくさんいて結局、日本人とつるんでしまった。
- バイト先は日本食レストランなら日本人であれば英語を話せなくても雇ってくれるし、英語もあまり使わない。
そこで、「日本人のいない所に行こう!マイナーな場所を選ぼう!」と考えました。
イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージランドのなかで最もマイナーそうなのは?
とても失礼ですが、ニュージランドって経済規模的にも他より小さいだろうし・・・
「みんなあまり行かないんじゃね・・?」
調べてみると、クライストチャーチやオークランドなどの大きな都市ではダメだ。日本人がたくさんいそうだ。
そこで、ニュージーランドの田舎町、南島にあるネルソン(Nelson)という街を選びました。
◆準備段階でしたこと

行くと決めたら準備です。
大学は一年目を終えて休学することにしました。
費用は親を説得して援助してもらったのと、バイトを掛け持ちして貯めたもので合計100万円程度を用意しました。
留学エージェントなどは一切使用しませんでした。
ビザも大使館で申請して普通に取れましたし、現地の学校もメールでコンタクトしてホームステイと授業の予約をしました。
あと、海外保険は万が一の時のために入っておきました。
●英会話が出来ない・・
一番心配だったのが英会話です。
英語は好きだったけど、英会話は出来なかったので、言語交換サイトで知り合ったアメリカ人男性と週に一回程度、カフェで言語交換をしました。
確か当時は、言語交換サイトも今ほど使いやすいものではなくて、相手のメールアドレスを知るのに千円くらい掛かったと思います。
それでも、運良く一発でアメリカ人男性と知り合えて、カフェで実際に会うことも出来ました。
幼い頃に通っていた英会話を別とすれば、これが私にとって初めての英会話体験でした。
今での品川駅のスタバで初めて会った時のことを覚えています。
背の高い黒人の男性でした。
日本語は全然話せない方であったので、とても良い英語の練習になりましたし、
何より、「自分でも外国人と英語でコミュニケーションが取れるんだ」と自信を持つことが出来ました。
ちょっと背伸びしたら、次の景色が見えてくるとはこういうことだと思います。
さて、次はいよいよ出発です。
◆NZへ渡航

クライストチャーチ行きの直行便に乗り、そこからバスでネルソンへ向かいました。
初めての海外一人旅だったので、宿を探すのにも、バスを探すのにも一苦労でした。
当時は、今のようにスマホなどはなかったので、情報はガイドブックか、人に聞くしかありません。
それでもなんとかスムーズにネルソンへ辿り着きました。
ネルソンのバスターミナルには、ホストマザーとステイしている韓国人の学生が僕を待っていてくれました。
彼らの暖かい出迎えが僕の緊張を解してくれました。
◆ネルソン(Nelson)
●ホームステイ

ホームステイ先は、綺麗なビーチが見える小高い丘の上にある大きな家で、本当に絵に描いたように大きくて素敵な家、周りの環境でした。
すでにチェコ人男性、リヒテンシュタイン人男性、韓国人男性がステイしていて、ホストファミリーは、両親、娘夫婦だけです。
親切な人たちで良かったと、とても安心しましたが、まだまだ常に緊張しているような状態でした。
着いた初日は、疲れすぎて、夕方から深夜まで部屋で爆睡してしまったのです・・気づいたら深夜でした。
晩御飯も食べなかったので、きっとホストファミリーもびっくりしていたことでしょう。
●語学学校
翌日から語学学校が始まりました。
私はとりあえず、フルタイムで一ヶ月は受講を決めていたので、気に入ったら期間を伸ばそうと考えていました。
私が通ったのは、Nelson English Centre(ネルソンイングリッシュセンター)です。
ネルソンの中心部は、碁盤の目のように綺麗に整備されていて、その中心部の教会の近くにNelson English Centreがあります。
ネットで調べたら今もあるみたいですね。
この語学学校は、学生全体で大体100名くらいだったと思います。
何故かわからないですが、とにかくスイスを中心にヨーロッパ系の学生が多いんです。
学生の半分くらいはスイス人だったと思います。
その次は、東アジア系ですが、ほとんどが韓国人で、日本人は5人くらいでした。
もちろん学生は毎週入ってきますし、出て行く人もいるので毎週違うのですが、日本人が入ってくると、割と珍しいくらいの感覚でした。
毎週月曜日には、学校の入り口にボードが掲示されて、そこに新しい学生の名前が書いてあります。
名前を見ればどの国から来たのかはわかります。(ヨーロッパ系は国まではわかりませんが)
初日に簡単な面接を受けて、私はIntermediate=中級クラスからのスタートでした。
その上には、Upper-Intermediate、Advancedのクラスがありました。
クラスには、スイス人、チェコ人、韓国人、台湾人などがいて、色々な国の人と交流できるだけで、毎日が本当に楽しかったです。
語彙や文法知識はまあまああったので、そこそこ話せるようになるためには、そこまで時間はかかりませんでした。
期間も一ヶ月延長し、クラスもUpper-Intermediateへ上がりました。
学校が終わった後は、大体、誰かと遊びに行ったりして、たくさん友達ができました。
もちろん日本人とも交流がありましたが、会話は全て英語でするように互いに意識していました。
そうでないと、日本人と会話をしているときに、他の国の人が入ってこれないし、日本人とばかり行動を共にしてしまうので、そこは一番気をつけていました。
毎週水曜日はパブナイトといって、みんなでパブに集まって飲んだり、ビリヤードをしたりします。

パブには地元の人もたくさんいるので、その人たちと話をすることも普通にありますし、英会話を練習するとても良い機会でした。
たくさん学んで、たくさん遊んで、二ヶ月があっという間に終わってしまいました。
●フラット探し
ホームステイは費用が高いので、一ヶ月で終わりにして、フラットを探しました。
フラットは、スーパーや学校にある掲示板(=Notice Board)にあるチラシをみて探しました。
不動産屋などではなくて、フラットメイトを募集している人やオーナーが直接連絡先と賃料を載せています。
スーパーの掲示板で見つけた案件のコンタクト先にテキストを送って、内見のアポをとりました。
※ケータイはモトローラ製のプリペイドのものを使っていました。本体は一万円くらいで売っているもので、チャージがなくなったら、コンビニでチャージする感じです。今ならSIMカードを買えば、スマホをそのまま使えますね。
内見した物件は、小高い丘の上にあるフラットでした。
大きなリビングが一つと、個室が3部屋です。
KIWIのカップルがオーナーから借りて住んでいて、残りの2部屋をフラットメイトに又貸ししている感じです。
※KIWIとはニュージーランド人のことです。
すでに一部屋は中国人の学生が借りていました。
彼はあまり共有スペースには出てこないそうでしたが、KIWIのカップルはとても親切で良い人そうであったので、ここに決めました。
家賃は週払いで、日本円で7000円くらいであったと思います。
7畳くらいのシンプルな部屋に簡易ベッドが置いてある程度のものでした。
中には、留学生がたくさん住んでいるフラットもありますが、KIWIの住むフラットを選んだのは、もちろん英会話の機会を増やすためです。
彼らとは、日常的に話す機会もたくさんありましたし、よく一緒にビールを飲んだりしました。
●アルバイト
二ヶ月の語学学校を終えて、アルバイトを探すことにしました。
フラットもあるし、学校の友達もいるので、他の街へ移動せず、そのままネルソンでアルバイトを探しました。
ネルソンは田舎町なので、中心部は30分も掛からずに徒歩でひと回りできてしまうほど規模はとても小さいので、
ほとんどの留学生やワーホリの外国人は、大都市に移動するか、田舎のファームを探してバイトするような感じでした。
アルバイトを探すために、掲示板を見たり、知り合いに聞いてみたりしていたのですが、なかなか見つけることはできませんでした。
本当だったら、レジュメを作って直接お店に片っ端から配り続けるべきなんですが、海外での初めてのバイト探しにビビってしまい、積極的に動けていませんでした。
その上、ビビって大して動けていない割には、英語を全く使わない工場での単純労働は嫌だというわがままっぷりでした。
三週間くらいが経過した頃、フラットメイトの中国人がマクドナルドでのキッチンの仕事を紹介してくれました。
彼はマクドナルドで働いていたので、アプリケーションフォームを貰って来てくれてました。
そして、お店に提出して面接を受けて、なんとか仕事を得ることができました。
キッチンでハンバーガーを作ったりする仕事内容なので、難しい会話は必要ないのですが、それでもやっぱり、周りはほとんど現地人でしたので、かなり言葉の練習にはなりました。
私はハンバーガーを作る持ち場が多かったです。
司令塔から、「Nine regs !」とか「Nine cheese !」とか指示が出されてそれに応じて、肉とバンズを焼いて、具材を挟んで、包み上げます。
日本も同じなのかもしれませんが、チリトリみたいな道具を使って、一度に最大で9個のハンバーガーが作れます。
ちなみに、「Nine regs !」は発音としては、「ナインリッグス!」でして、
これは今思えば、「Nine regulars」=「9個の普通のハンバーガー」ということなんだと思います。
当時は、「regs=リッグス」が何かすらよく分からず、でもそれは「普通のハンバーガー」のことを指していることは理解していましたので、仕事は出来ていました。
「Nine cheese」は、もちろんナインチーズバーガーです。
こんなことも良い思い出です。
そこで三ヶ月働いたあとで、韓国人の友人と共にNZで一番の大都市オークランドに移動することを決めました。
🌟オークランドに移動してからの話は次の記事になります。

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